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濃い自己紹介

少年期

大阪符の泉州地域に生まれ、4人兄弟の末っ子として育ちました。
ハキハキした子供で友達のお母さんから明るくて元気、と褒めて貰えることが嬉しくてことさら元気に振る舞っていたような気がします。
小中学生時代を通して通知簿には「明朗活発」と書いて貰っていました。

マンガが好きで毎週日曜日になると駅前にあった本屋さんに立ち読みに行きました。
長い時間立ち読みしていて帰るように促されると、別の本屋に、そこも追い出されると別の本屋にと1日に何軒もの本屋さんを巡っていました。

少年向けに限らず少女向け、成人向けのマンガまでとにかく読み漁りました。陳列しているマンガを読破してしまうと今度は恐竜や未知の生物、幽霊や神話、世界の七不思議、UFOなど、今で言えばムック本のようなものまで読み始めました。
自分のお金で本を買うとするとしっかり吟味した上買う本を選ぶと思うんですが、立ち読みしているので興味のあるものを読み終えると、今度は興味の無いものまで手を出す、良い意味で乱読出来ていたのかもしれません。

それらも読破してしまうと今度は古本屋に目を付けました、手塚治虫や横山光輝、石ノ森章太郎といった漫画界の偉人たちの作品に触れたのも古本屋でした。
当時は毎週末、新刊を販売している本屋3軒、古本屋3軒を自転車で巡っていました。

少年ジャンプや少年マガジンに代表される週刊や月刊のマンガを読んでいました。
少年向けは勿論、マーガレットやりぼん、花とゆめといった少女向け、モーニングやアクションといった成人向けまで目に入ると前後のストーリーが分からなくても読んでました。

中学生になると、マンガに加えて赤川次郎、星新一、小松左京、筒井康隆といったSF小説や推理小説も読み始めることになり、その後は新田次郎、吉川英治、司馬遼太郎、陳舜臣なども読むようになりました。

善悪正邪が単純ではっきりしている子供向けの空想の物語から、史実をもとに創作した小説なども読むようになり、善悪正邪を今の視点からだけで決めつけてはいけないということを学んだように思います。
多面的に見ることでその人の立場やその人の気持ちを汲み取ることが出来るのでは?という考えが知らず知らずのうちに湧き上がっていたのかもしれません。

青年期

高校生になるとアルバイトが出来るようになるのが嬉しくて平日も夏休みや冬休みも夢中になって働きました。
自分が働いて稼いだお金で食べた吉野家の牛丼の味は格別に旨かったことを覚えています。
誰にも気兼ねなく自由に使えるお金を持てるようになったので月に1度か2度、友人とファミリーレストランで食事するのが楽しみでした。

1日も早く社会に出て一人前になりたかったのでアルバイトを社会に出る前の練習くらいに捉えていました。
どんな仕事があるのかも知らないし、どれくらい楽しいのか、どれくらいキツイのか、どれくらい稼げるのか、といったことを少しでも早く大人の社会を覗いてみたかったという気持ちが強かったです。

外壁塗装や電気工事補助や展示会準備やプール施工や焼き鳥屋や敷物製造やテキヤなどなど、いろいろなアルバイトをしました。
優しい人もいれば怖い人もいて怒りっぽい人もいました。
友人の紹介で行ったアルバイトでは普段ふざけてばかりいる友人が真面目に汗を流して働いているのをみてお金を稼ぐってこういうことなのかと身が引き締まる思いでした。

専門学校生の頃はアルバイトとドライブに明け暮れていました。
友人から壊れかけの緑色のフォルクスワーゲンゴルフを安く譲り受け修理しながら乗り回していました。
アルバイトを通して社会を垣間見たことで、不器用な自分が人並みの成果を出すには「人よりも早く、人よりも長く、取り組まないと並の成果が出せない」ということを実感していたんだと思います。
働き始め大人の仲間入りをすると恋愛にウツツを抜かしている余裕はないという気持ちが強かったと思います。

多くの種類のアルバイトをしたことで得た自己分析は次のようなものでした。
・飲み込みが悪い(=手続き手順を覚えて出来るようになるまでに人よりも沢山の時間が必要)
・創造的でない繰り返し作業が苦手(=単純作業が苦痛、集中力を維持できない)
・出来るようになるまで時間は掛かるが粘り強く取り組むことは得意

炎天下の外壁塗装工事などは働いている様子をご覧になった施主様が冷たいお茶を出してくれて優しい言葉を掛けてくださる場合がありました。
仕事をしてお金を頂き、感謝の言葉まで頂ける、そういう仕事に出会って働くことの意味ややりがいを知りました。

IT企業勤務

就職先は名古屋でした、当時は行動範囲も狭く情報の少なかったので縁もゆかりもない地で働くことは遠洋漁業へ向かうマグロ漁船に乗るようなものでとても心細いかったことを覚えています。

学生と違って社会では年齢や経験も関係なく競争しなければならない、そのためには誰とでも戦えるように自分に力をつけないといけない。
そう考えて、一人前になるための3カ年計画を立てました。
アルバイトでいろいろな仕事を経験したとはいえ、世の中を知らない学生がたてた計画です。

1年目:上司に「とりあえずコイツにやらせてみたら何とかするかもしれない」と思ってもらうこと
2年目:何とかチャンスを掴み、何があっても成果を出すこと
3年目:頭角を現し実績を残すこと

どうすれば、何をすれば目標を達成出来るのか全く分からないので掃除でもコーヒーを淹れることでも何でも一所懸命にやりました。
どのような指示であっても出来るかどうかよりもまず全力で取組み、躓いても最後までやり抜きました。

新人は先輩が設計したプログラムのテストを1年ほどやることになっていましたが想いが通じたのか、電話の取り方とコピーの取り方を教えて貰ったあとに、すぐにプログラマとしての仕事を与えて貰いました。
同期の同僚達が1日中テストをしているのを横目に、悪戦苦闘が始まりました。

未経験のプログラム言語の参考書を1冊、郵便局で稼働しているATMプログラムのダンボール1箱分、デバイスの仕様書を数冊、郵政省ATM仕様書数冊を頼りに「平成3年に郵便局で稼働するカード明細ユニット制御プログラムを設計する」というのが初めて仕事で設計したプログラムでした。

調べようのないこと、知りようのないことについては質問内容を紙に書いて上司の机の上に置き、翌朝には回答が得られる、そういう仕組でした。
質問があっても答えが得られるのが翌日になるので、明日の仕事内容を予習をしておき調べて分かるかどうか?知り得ることができるかどうか?を確かめてから帰るということを徹底していました。

明日の作業量や難易度に予測をたててからその日の仕事を終えるという進め方が身に付いたことで、その後の人生でタスク管理がとてもやりやすくなりました。
次の日の予想が出来ることで心にも時間にも余裕を持つことができ心理的にも負担が抑えられていると思います。

在職中は1日1ヶ月1年がとても早く感じられました。
毎日残業がありいつも眠かった記憶があります。
ゴールデンタイムのテレビ番組や流行りの歌が分からない、そういう日々でした。

専門学校に進学するという選択をしたことで4年制の大学を卒業する同年齢の人に比べて2年早く社会にでていますのでこの2年で圧倒的な差を付けるという気持ちで仕事に取り組んでいました。

自動車向け金型製造企業勤務

3次元CAD/CAMシステムに興味があり、学生時代にアルバイトでお世話になっていた金型を製造する会社に転職しました。
この会社ではコンピュータを使って3次元データを使って設計を行い、設計データを元に切削を行っており、3次元CAD/CAMを実用的に活用していました。
自社の設計効率を向上させるために汎用CAD/CAMシステムの拡張パッケージを開発のために金型設計を学ぶことになりました。
金型の知識が全くなかったため、現場を数ヶ月、自動車の内装部品の射出成形金型設計を2年ほど経験しました。

情報システム部門に移動になり部下が出来ました、部下には優しくしたい、質問されたらしっかりと教えたいと思って一所懸命に教えました。
ある日、別の部署の先輩から「叱りすぎているのでは?」と指摘を受けました。
一所懸命に説明している、教えているつもりがいつの間にか厳しく責め立てるような口調になっていました。今思えばパワハラだったと思います。
時には人格口撃までしている自分に気が付き、自分を変えようと強く思いました。

日頃の言動を見直し注意深く慎重に取り組んでいるつもりでも一向に改善する気配がありません。
気を付けていても気持ちが高ぶると素が出てしまう、取り繕うようなやり方ではダメだと気が付いたときには2年が経過していました。
それからは人としてのあり方から見直そうと考えるようになりました。

物事の受け取り方、解釈の仕方、伝え方、伝わり方に気をつけるようになりました。
本能のままで生きていると「正しさ」に酔いしれ、我を忘れてしまうことがありました。
正しさよりも大事なこと、優しさや寛容さを学ぼうと考えるようになり、怒りとは何か?正しさとは何か?といったことを考えるようになりました。

自営業

30代半ばで自ら事業を営むことにしました。
決して積極的な選択ではなく、転職してキャリアプランを所属した会社に任せてしまうことをリスクと考えた消極的な選択でした。

勤めていたときには営業だけはやりたくありませんでしたが、営業をしないと仕事を請けることが出来ません。事業を始めてからはイヤイヤながらも営業もやるようになりました。
当時の営業スタイルはいわゆる御用聞き営業が多かったせいかもしれません。

お客様からご相談を頂き、お困り事を聞き提案が出来たときに初めて営業って楽しいと思えました。
それからはお客様からの相談を楽しめるようになりました。

複雑に絡み合った情報を整理出来たとき、ワクワクする提案が出来たとき、お客様に「ありがとう」を言って貰った時、仕事って楽しい!
心からそう思えました。

納期に遅れてしまったこと、納品したシステムに欠陥が含まれておりご迷惑をお掛けしてしまったこともあります。
そんなときでも周りの人に助けて貰いながら、逃げ出すことなく真正面から取り組んできました。

これから

英語と数学が苦手で勉強嫌いの世間知らずだった私は「粘り強さ」と「覚悟」だけを武器にIT業界で30数年、創業20年が過ぎました。
私よりも優秀な人達は沢山居ましたが何故か辞めていく人が多かったように思います。

今まで以上に様々な人々とのご縁を大切にし、皆様の幸せに貢献できるよう研鑽に励みます。
どうぞ宜しくお願いたします。

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